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発見の日々【FC2分室】




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2017.06.10 Saturday
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    ギョベクリ・テペの遺跡がなぜ注目されないのだろう、驚くべき発見

    2013.12.31 Tuesday 15:34
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      ギョベクリ・テペ - Wikipedia

      1964年に発見されトルコ南部のギョベクリ・テぺの巨石遺跡がすごいです。

      本格的に発掘が始まったのは1994年からです。なんと紀元前1万年から9000年前の遺跡。

      メソポタミア文明よりもエジプト文明よりもはるかに古い遺跡です。


      そして巨石を切り出す技術とそこに施された動物の彫刻が特色ですが、一体どのような人々が建造したのでしょう。



      この動画の冒頭部分にギョベクリ・テベの遺跡がでてきます。
       
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      源頼朝の死に隠された平将門のなぞ

      2012.11.21 Wednesday 10:49
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        Le mystère de l'histoire Japonaise_vol.54 投稿者 abricot5725

        この動画は面白いです。北条氏が桓武平氏の末裔で頼朝を暗殺。

        実は平清盛一派から権力を奪い取るための策略に源頼朝が利用されたというのです。

        もともとは平安中期の平将門以来の野望を引き継いだ北条氏の策略となります。

        面白すぎる。

        平 将門(たいら の まさかど、-將門)は、平安時代中期の関東の豪族である。 平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。桓武天皇5世。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国衙を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使し、反りを持った最初の日本刀を作らせたとも言われる。(wikipediaより)

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        ユダヤの失われた10支族と日本

        2012.11.13 Tuesday 18:38
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          日本がエフライムであるとかいやマナセ族であるとかよく聞きます。

          マナセの紋章(トーテム)が諏訪大社と同じらしいとか。

          このテレビ東京の番組はよくまとまっていますね。


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          纏向遺跡からわかること

          2012.10.02 Tuesday 15:02
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            纏向遺跡

             

            この動画の視点はなかなか面白い。縄文人の復権。
            西からではなく東からの土器の移動をみると明らかという。




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            箸墓古墳について

            2012.10.02 Tuesday 11:21
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              卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳です。

              箸+墓 というのがすごく気になっています。

              古墳は権力者のお墓であるわけで、なぜ「墓」の名があるのか不思議です。

              もっとも当時は「古」墳とは呼ばれていなかったでしょう。「陵」ですね。


              箸墓古墳 「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」

              箸墓古墳 - Wikipedia
              箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳とも)は奈良県桜井市纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも最古級と考えられており3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳である。建造時期や大きさなどから卑弥呼の墓に見立てられることも多いが、未だその確証は無い。


              『日本書紀』崇神天皇19月の条に、つぎのような説話が載せられている。一般に「三輪山伝説」と呼ばれている。 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)、大物主神(おほものぬしのかみ)の妻と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来(みた)す。倭迹迹姫命は、夫に語りて曰く、「君常に昼は見えずして、夜のみ来す。分明に其の尊顔を視ること得ず。願わくば暫留まりたまへ。明旦に、仰ぎて美麗しき威儀(みすがた)を勤(み)たてまつらむと欲ふ」といふ。大神対(こた)へて曰(のたま)はく、「言理(ことわり)灼然(いやちこ)なり、吾明旦に汝が櫛笥(くしげ)に入りて居らむ。願はくば吾が形にな驚きましそ」とのたまふ。ここで、倭迹迹姫命は心の内で密かに怪しんだが、明くる朝を待って櫛笥(くしげ)を見れば、まことに美麗な小蛇(こおろち)がいた。その長さ太さは衣紐(きぬひも)ぐらいであった。それに驚いて叫んだ。大神は恥じて、人の形とになって、其の妻に謂りて曰はく「汝、忍びずして吾に羞(はじみ)せつ。吾還りて汝に羞せむ」とのたまふ。よって大空をかけて、御諸山に登ってしまった。ここで倭迹迹姫命仰ぎ見て、悔いて座り込んでしまった。「則ち箸に陰(ほと)を憧(つ)きて薨(かむさ)りましぬ。乃ち大市に葬りまつる。故、時人、其の墓を号けて、箸墓と謂ふ。(所々現代語) なお箸が日本に伝来した時期(7世紀か)と説話の作成された時期とに大きなズレがあるところから、古墳を作成した集団である土師氏の墓、つまり土師墓から箸墓になったという土橋寛の説もある。


              これは驚くべき記述。大神神社(おおみわじんじゃ)の祭神大物主が蛇であるということなのです。驚きです。ここに出雲につながる古代史の大きな秘密があります。そもそも大物主とはという話は今度書きます。



              これで勉強してます。

               
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              島津の先祖は鎌倉、島津忠久の墓があるんですね

              2012.09.29 Saturday 16:49
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                古都鎌倉(7) 「大江・毛利・島津の墓」
                源頼朝の墓の右手奥にある石段を登って山の小道を歩いていくか、一旦頼朝の墓を降りて右側に歩いていった先の左手階段を上っていくようになる。どちらも山裾の薄暗く湿った林の中で、かなり心細いルートである。 山腹に玉垣に囲まれて三ヶ所の墓があり、よく見るといずれも「やぐら風」(矢倉・窟、岩山に穴を掘って物を貯蔵しておく倉、また、墓所、鎌倉付近に多い)横穴古墳のようなものを改装したもので、江戸近世以降のものと見られる五輪塔が入っている。 真ん中に鎌倉幕府の要職を務めた「大江広元」の墓があり、左側には大江広元の第四子で後の中国地方の大名の毛利氏の祖といわれる「毛利季光」の墓がある。そして右側に 頼朝の子で、後の南九州地方の大名・島津氏の祖といわれる「島津忠久」の墓がある
                これは面白い。もちろん事実です。詳しくは後ほど書きますが、ユダヤ人の系譜という話です。
                日本の古代史、秦氏との関係です。




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                三柱鳥居の話

                2012.09.27 Thursday 16:32
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                   三柱鳥居というのがあります。

                  三柱鳥居 - Wikipedia

                  何か秘密があると思って調べています。



                  三囲神社の三柱鳥居(wikipediaより)

                  木嶋坐天照御魂神社 - Wikipedia

                  三囲神社 - Wikipedia
                  「伝によれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土した。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐に跨った老爺の神像があった。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを回って死んだ。三囲の名称はここに由来するという。 元禄6年(1693年)、旱魃の時、俳人其角が偶然、当地に来て、地元の者の哀願によって、この神に雨乞いする者に代わって、「遊(ゆ)ふた地や田を見めくりの神ならは」と一句を神前に奉ったところ、翌日、降雨を見た。このことからこの神社の名は広まり、京都の豪商三井氏が江戸に進出すると、その守護神として崇め、三越の本支店に分霊を奉祀した。」

                  というように三井家と関係が深い。





                  岐阜県大和町の三柱鳥居(wikipediaより)

                  ということで調べているのですが、昨日、ブログで対馬の三柱鳥居について詳しく書いたものを見つけました。すばらしい内容です。

                  ちょっとびっくりしました。いずれじっくりと学び整理するつもりです。確かに神々のふるさとですね。リンク集を作っておきます。

                  三柱鳥居 : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 番外編(三柱鳥居と天照御魂神社の謎)

                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 1 : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 2(和多都美神社) : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 3 和多都美神社の玉の井 : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 4(大吉戸神社・鋸割岩・金田城・和多都美神社) : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 5(鴨居瀬の住吉神社) : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 6(鴨居瀬の住吉神社・赤島) : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 7(梅林寺) : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 8(鶏知の住吉神社と阿比留一族) : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 9(雷命(ライメイ)神社) : 彦左の正眼!
                  神々のふるさと、対馬巡礼の旅 ―― 10(太祝詞(フトノリト)神社) : 彦左の正眼!




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                  何か面白い柏の歴史

                  2012.09.01 Saturday 16:30
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                    よくわからない話ですが、やたら面白いです。
                     判断は各自で。
                    なぜか放射能のホットスポットでもあります。


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                    空海とはどんな人だったのでしょう、空海と稲荷

                    2012.08.14 Tuesday 12:54
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                      四国には稲荷神社がないとあるスピリチュアルなひとから聞いたのですが、どうも違ったようです。


                      徳島県阿波市にある、四国最古の稲荷神社。 - Shikoku style あなたの知らない世界観
                      とりあえず、四国最古なのは間違いない。 何故、そんな古い時代に四国に稲荷神社が? って不思議に思う人は稲荷信仰をバックボーンとして活躍した、 秦一族の歴史を研究すれば裏事情がよくわかる。
                      このことを言っていたのかもしれません。
                      ↓↓
                      弘法大師が四国の狐を追い出し、狸を開放した? | 歴史のQ&A【OKWave】

                      何やら、あることが隠されている感じがしてきました。

                      稲荷信仰
                      『弘仁7年(816年)空海は紀州,田辺で稲荷神の化身である異相の老翁に出会った。身長約2メートル40センチ(8尺),骨高く筋太くして,内に大權の気を含み,外に凡夫の相を現していた。翁は空海に会えたことを喜んで言うには「自分は神であり,汝には威徳がある。今まさに悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者になったからには、私の教えを受ける気 はないか。」空海はこう述べた。「(中国の)霊山において、あなたを拝んでお会いしたときに交わした誓約を忘れることはできません。生の形は違っていても心は同じです。私には密教を日本に伝え隆盛させたいという願いがあります。神様には仏法の擁護をお願い申し上げます。京の九条に東寺という寺があります。ここで国家を鎮護するために密教を興すつもりです。この寺でお待ちしておりますので、必ずお越しください。」と仲むつまじく語らい会って、神の化身と空海は盟約を結んだ。

                      弘仁14年(823年)正月19日。空海は天皇より東寺を賜り、真言の道場とした。同年4月13日。紀州で出会った神の化身が稲を担ぎ、椙の葉を持って、2人の婦人と2人の子供を伴って東寺の南門に再びやって来た。空海は大喜びして一行をもてなした。心より敬いながら、神の化身に飯をお供えし、菓子を献じた。その後しばらくの間、一行は八条二階の柴守の家に寄宿したが、その間空海は京の南東に東寺の造営のための材木を切り出す山を定めた。また、この山に17日の間祈りを捧げて神に鎮座していただいた。これが今の稲荷社(伏見稲荷)である。また、八条の二階堂は今の御旅所である。空海は神輿を作って伏見稲荷、東寺、御旅所をかかせて回らせたのである。』




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                      ついに出版!日本仏教の隠された秘密

                      2012.07.27 Friday 17:41
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                        隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?
                        副島 隆彦
                        PHP研究所
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                        この時期にこの本が出版されるとは思いませんでした。日本のパラダイムシフトがいよいよ始まるのかなと予感させる本です。

                        今朝ほど天平時代に仏教が興隆していく様子について書きました。


                        だいぶぼかして書いたのですが、このときに唐の文化が日本に一気に流れ込みます。防人も大宰府も廃止されたわけですから。そのときに起こった文化侵略によって、日本の古来の宗教や文化はおそらく相当に変質したはずです。古来の文化とは古神道の流れです。同時に韓半島からの渡来文化も排斥されたはずで、このあたりが複雑に入り乱れています。

                        仏教にメスを入れるということは過去に封印されたいろいろなものが解かれることを意味します。

                        それくらいに私たちの国は変わることを急がれているのでしょう。

                        それが真実かはこれから暴露されるさまざまな事実(主に考古学的な発見の形をとるでしょうが)からわかると思われます。

                        期待してまちましょう。私の観点でですが、できるだけお知らせするようにします。

                        本居宣長の言っていることに耳を傾けるときかもしれません。


                        本居宣長研究ノート「大和心とは」



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